2008年7月5日土曜日

日本の競馬を変えた男

1986年アーサー・ハンコックの牧場で1頭の仔馬が生まれた。彼は
8ヶ月のとき激しい下痢に見舞われ、生死をさまよい、生産者には、
毛嫌いされ、売られるが、安いため、買い戻しを入れたアーサー
ハンコックに、生産者は、無理やり押し付ける形で、所有者が変
わった。2歳時のせりでは常に売れ残り、帰りには、運転手の心臓
発作で車は横転大破。それでも生き残り、アーサー・ハンコック
の元に戻ってきた。ハンコックは彼の半分の権利と引き換えに、調教
をアメリカ有数の調教師チャーリー・ウィッティンガムにゆだねた。
サンデーサイレンスと名づけられたその仔馬に調教が行われた。しかし
それは困難を極めた。その調教を担当した、パム・メープスは、
「何しろ、すき放題に暴れまくって、私が指示することはことごとく
行わないわけ」といっていた。それでも、ウィッティンガムは
我慢強く、彼女に調教をさせた。彼女を抜きに、サンデーサレンス
の成功を語ることはできない。サンデーが死んだとき「会いに行って
あげればよかった」と残念がっていた。
徐々にではあるが、彼女の調教を受け入れていった。何とか、デビュー
にこぎつけたウィッティンガムは、騎手を、アメリカトップの
シューメーカーに頼もうとしたが、はじめて調教にまたがったとき、
「あらん限り悪行をつくしていたわね」とメープスが言うほどひど
かったらしい。仕方なく、腕は確かだが、薬物に手を出し何度も処分を
受けていたパトリック・ヴァレンズエラを選んだ。だが、この人選は、
間違いではなかった。馬があるとはよく言ったものである。
デビューして、アメリカの3冠のうち2冠をとる名馬になる。だが、
引退後、種付けをしようという人間はほとんどいなかった。そのとき、
以前からサンデーがほしくてほしくてたまらなく、ハンコックを口説いて
口説いて、現役中に、権利だけでもと、やっと権利の1/4を買っていた
吉田善哉が、ここぞとばかり、すべての権利を買い取ったのである。
合計1100万ドルでの購入であった。そして、日本につれてくるのである。
そのとき、アメリカの専門家たちは、「日本のブリーダーが莫大な金を
積んで、とても成功しそうにない母系から生まれたヘイロー産駒を買って
いった」といった。そのころ、日本では、来る前から大フィーバーが起こって
いた。現役の2冠馬が来るのである。すぐに、シンジケートの株はすぐに
満口になっていた。そして、彼の産駒は日本の重賞をことごとく取っていく
のである。サンデーが成功したとき、「誰が、サンデーを日本なんかに
売ったんだ」とアメリカの関係者が言った。以前、サンデーを駄馬と言って
いた人たちが・・・・。その仔が走る姿を、吉田善哉は見ることがなかった。
デビューの1年前に他界してしまったのである。アーサー・ハンコックは
意識をしていなかったが、日本の競馬を変える人間になった。

2008年6月30日月曜日

日本の競馬界を変えた男(小さな成功)

馬の話からちょっとそれて、人を紹介しよう
パートナーのキャンベルが言った。
「あの牝馬が優勝した瞬間に競馬場で味わった快感に勝る美酒など、
この世にあるわけはないじゃないか」アーサー・ハンコックはグラス
を置いた。ケンタッキーオークスを、グッバイヘイローが制したとき
の話である。アーサー・ハンコックは2代にわたるアメリカのトップ
ブリーダーであった祖父・父の大牧場を長男として継ぐつもりであっ
たが、父の亡き後、管財人たちが弟を後継者に押し、彼は、勝手に
しろと、自分から飛び出すことになった。そして、彼は、隣の土地を
買い、苦労しながら、借金を抱え、土地だけは拡張していった。2代
に渡る念願のケンタッキーダービーも生まれ育った牧場に一歩先んじて
制覇した。ついに、父の牧場の広さをしのいだが、借金はかさんでいっ
た。そんなとき、救世主のように現れたのが名牝グッバイヘイローで
あった。彼女は1989年シーズン終了後24戦11勝で競争生活を終えた。
獲得賞金は170万ドルを超えた。1990年1月キーンランドのセリで
協和牧場オーナー・浅川吉男氏により210万ドル(約3億円)で落札
された。これで、ハンコックは一息入れることができたのである。
日本へ輸入が決まった時、名門競馬雑誌が去りゆく名牝に対して
「サヨナラ・グッバイヘイロー」という特集記事を組んで、別れを
惜しんだ。そして、アメリカ中の競馬ファンが涙したと言う。
その産駆キングヘイローが重賞を勝ったとき、すぐさまアメリカに
打電された。アメリカは、彼女のことをどんな小さなことでも知り
たがったのである。その遺伝子は、確実に日本で受け継がれている。
だが、アーサー・ハンコックが、日本を変えたのは、この馬では
なかった。また、彼の人生の最高潮はまだ先にあったのである。

2008年6月21日土曜日

史上最高の牝馬

史上最高の牝馬と言うと、あなたはどの馬を想像しますか。
クリフジ、トウメイ、テスコビガー、メジロラモーヌ、ベガ、
ヒシアマゾン、メジロドーベル、スイープトウショウ、ウォッカ、
ダイワスカーレット
人それぞれ、思い入れがあり、好みが違うので、多くの名前が挙がるで
あろう。だが、次の馬が、女傑ということに意義を唱える人はいないで
あろう。さらに、この血統が超一流であることを否定することはできない
であろう。
 彼女は、母に続いてオークスを勝ち、生んだ仔はエリザベス女王杯を
2回勝つ。姉カーリーエンジェルはエガオヲミセテ、オレハマッテルゼ
を出している。現在、その子供たちは数億円の値段がつく。
 1996年、オークス馬としてぶっつけ本番で臨んだ秋華賞、結果は
10着。レース後、骨折が判明。長期休養、手術後の復帰戦マーメードS
を完勝。そして、GⅡに格上げされた札幌記念に出走を決めたとき、
北海道のファンが歓喜し、牡馬相手のGⅡにもかかわらず、1番人気に
押した。これも完勝した。順調と思われたが、秋の天皇賞では、左奥の
永久歯が虫歯になり、飼い葉をかまずに食べていたという。完調でもない
にもかかわらず、最強牡馬たちを一蹴した。その中にはバブルガムフェロー、
マヤノトップガン、マーベラスサンデー、サクラローレル、そして、3歳
のサイレンススズカがいた。続く、ジャパンカップでは、日本馬最先着の
2着。勝った馬はピルサドスキー。武豊が『現役日本最強馬』と彼女を
称した。有馬記念では、皮膚炎を起こしながらも3着に踏ん張る。翌年も、
現役を続けたが、GⅠでは、宝塚記念3着、エリザベス女王杯3着、と
振るわなかった。牝馬で牡馬混合の3着なら大えばりだが、彼女には不足
であった。ジャパンカップで、エルコンドルパサーの2着にはいり好走
したが、有馬記念では、落鉄のため5着に敗れる。だが、それまでの
栄光は色あせるものではなかった。
 繁殖に上がって、アドマイヤグルーヴを出すなど、繁殖牝馬としても
一流の結果を出してる。
彼女、エアグルーヴは、怪我や病気とも戦いながら、牡馬に混じって
結果を出してきた。現在、最高の繁殖牝馬として、社台グループに
大切に繋養されている。

2008年6月19日木曜日

日本競馬史上最高の名脇役サッシュチビ その1

(1)引退レース
2001年12月16日エクラールが直線で後続を突き放す。
武豊は、ゴーサインを出した。ゴールまで200mのとき、
チビは大きく右に傾いた。まだエクラールまで5馬身離れている。
左にもたれる癖があるチビが、騎手が考えていることと逆の反応
を示した。今まで一度もなかったのに。武騎手は、後日、振り返
って言った『ジョッキーの心理を想像してみてください。あんな
場面になっても彼を右から叩くにはなれないんです。』そして、
『最後まで、わけがわからなかった。まさか、右にもたれるとは。
もう、これで引退だから、もう、これ以上考えなくていいんだ』
同じことを、当時、チビの調教助手であった池江泰寿師が言っていた。
直線、何とか工夫して体制を建て直し、再び、追撃体制に入ったチビ、
ゴールはせっまっており、差は開いた。もうだめかとみなが思った。
次の瞬間、彼は、一瞬飛んだように見えた。伸びた。信じられない
光景が、スタンドの人々の目に飛び込んできた。スローモーション
でも見るように、一完歩、一完歩、差が詰まる。ゴール直前に、
ドバイの王族ゴドルフィン氏(現首相)の持ち馬エクラールを捕まえ、
ゴールに飛び込んだ。一瞬置いて、シャンティ競馬場のスタンドに
大歓声が沸き起こった。
50戦目の引退レース、彼は、香港で初のGⅠを勝ち取り、自らを祝った。
彼とは、中国名『黄金旅程』、ことステイゴールドのことである。
  生涯成績は  50戦7勝2着12回、3着、8回、
  重賞成績は、 4-7-8、GⅠ優勝1回
重賞優勝の中には、ドバイシーマクラッシックが含まれる。当時はGⅡ
であったが、現在はGⅠである。重賞成績の中で、GⅠの成績を見ると
なんと、天皇賞秋2着2回、有馬記念3着、天皇賞春2着、4着、5着、
宝塚記念2着、3着、4着2回、と常に、掲示板に載るほど活躍しているが、
日本で勝った重賞は、6歳時の目黒記念と7歳時の日経新春杯だけである。
常に善戦して、レースを盛り上げるが、決して主役にはならなかった馬。
誰もが、彼を愛し、応援していた。目黒記念を勝ったとき、スタンドは、
誰もが涙を流した。GⅠ優勝のような騒ぎであった。
 引退後、社台グループは、彼を、岡田氏率いるマイネル軍団の
ビッグレッドファームに譲った。サンデーサイレンス産駒が増えたため、
血の集中を防ぐためである。代表産駒として、ドリームジャーニー、
ソリッドプラチナムなどがいる。

2008年5月5日月曜日

5月5日現在の3歳牡馬収得賞金順

優先=東京優駿優先出走権,<M=マイル,S=短距離,外=外国産馬,D=ダート>と思われる馬たち
3歳牡馬収得賞金ランキング
順位記号馬名収得賞金備考
1骨折キャプテントゥーレ7150皐月賞優勝
2優先マイネルチャールズ5900皐月賞3着
3スマイルジャック3900
3優先タケミカヅチ3900皐月賞2着
3優先アドマイヤコマンド3900青葉賞優勝
6マルブツイースター3750NHK登録
7サトノプログレス3600NHK登録
8外Mゴスホークケン3400NHK登録
9ナンヨーリバー3350地方重賞優勝
10ドリームシグナル3150NHK登録
11ショウナンアルバ2900
11外Sダノンゴーゴー2900NHK登録
11ダンツキッスイ2900NHK登録
11優先レインボーペガサス2900皐月賞4着
15外Mエーシンフォワード2800NHK登録
15サクセスブロッケン2800
17イイデケンシン2650
17サブジェクト2650
19ディープスカイ2400NHK登録
20外Sアポロドルチェ2300NHK登録
20フローテーション2300
22レッツゴーキリシマ2100NHK登録
23オリエンタルロック2000
23フサイチアソート2000
23ブラックシェル2000NHK登録
23優先クリスタルウイング2000青葉賞2着
27スズジュピター1850
27スプリングソング1850NHK登録
27スマートファルコン1850
27ノットアローン1850
27外DSシルクビッグタイム1850
32ウィントリガー1720地方重賞2着
33ダイワマックワン1700
33ドリームガードナー1700
33マヤノベンケイ1700
36アインラクス1350
36キングスエンブレム1350
36ジュウクリュウシン1350
36ファリダット1350NHK登録
40外DSタカラストーン1320
41アルカザン1200
41ベンチャーナイン1200プリンシパル登録
41ホッカイカンティ1200NHK登録
41オースミマーシャル1200
41SMメッサーシュミット1200
41SMスマートギャング1200
47サダムイダテン1050NHK登録
47SMミリオンウェーブ1050
49優先モンテクリスエス900青葉賞3着

2008年4月20日日曜日

皐月賞の結果分析

キャプテントゥーレは逃げたので、レースラップがそのままラップになる
12.2 - 11.5 - 12.5 - 12.6 - 12.6 - 12.8 - 12.3 - 11.2 - 11.5 - 12.5
3F 36.2 上がり35.2 タイム2.01.7
これは、皐月賞にしてはスローペースである。ところが、先日来からの
大雨で、良とはいえ、地盤は緩んでいたはず。その意味では、
ペースは妥当だと思う。切れ足勝負の馬は、前残りと切れ足をそがれて
上位にはこれなかった。ただ1頭、マイネルチャールズが飛び込んできた。
ブライアンズタイム産駒ならではのパフォーマンスであった。
今回は、スローと、道悪馬場による影響と考えてよいと思う。
詳細は後日できたら・・・・

2008年4月19日土曜日

今年の皐月賞

マイネルチャールズをどこも本命にしている。どんなレースも
できるからと言う理由で、さらに、弥生賞でのレースをあげている。
どの解説者も言っていないこと、あるいは、軽視していることがある。
それは前に書いたこと。弥生賞はスローで、皐月賞は2分をきる
レースだと言うこと。また今回は、ゆるい馬場で力が要るが、
ノットアローンがハナをきり、ショウナンアルバが気分よく前に行く。
他にも前に行きたい馬がいることから、結構速いペースになる。
弥生賞ほどのスローにはならない。そのペースで、マイネルチャ-ルズ
が同じ足を使えるかどうか。力の要る馬場でいいペースで、長く
いい足を使わなければ勝てない。ただ、マイネルチャールズが
ブライアンズタイムの仔であることから、その爆発力を発揮することも
考えられる。注目は、気分良く行けた時のショウナンアルバ。
他にノットアローンの前残り、タケミカヅチ、キャプテントゥーレなど。
ブラックシェルはゆるい馬場で、あの足が使えるかがかぎ。
レインボーペガサス、フサイチアート、スマイルジャックあたりも
圏内である。意外と荒れそうな気がする。