日本競馬史上最高の名脇役サッシュチビ その1
(1)引退レース
2001年12月16日エクラールが直線で後続を突き放す。
武豊は、ゴーサインを出した。ゴールまで200mのとき、
チビは大きく右に傾いた。まだエクラールまで5馬身離れている。
左にもたれる癖があるチビが、騎手が考えていることと逆の反応
を示した。今まで一度もなかったのに。武騎手は、後日、振り返
って言った『ジョッキーの心理を想像してみてください。あんな
場面になっても彼を右から叩くにはなれないんです。』そして、
『最後まで、わけがわからなかった。まさか、右にもたれるとは。
もう、これで引退だから、もう、これ以上考えなくていいんだ』
同じことを、当時、チビの調教助手であった池江泰寿師が言っていた。
直線、何とか工夫して体制を建て直し、再び、追撃体制に入ったチビ、
ゴールはせっまっており、差は開いた。もうだめかとみなが思った。
次の瞬間、彼は、一瞬飛んだように見えた。伸びた。信じられない
光景が、スタンドの人々の目に飛び込んできた。スローモーション
でも見るように、一完歩、一完歩、差が詰まる。ゴール直前に、
ドバイの王族ゴドルフィン氏(現首相)の持ち馬エクラールを捕まえ、
ゴールに飛び込んだ。一瞬置いて、シャンティ競馬場のスタンドに
大歓声が沸き起こった。
50戦目の引退レース、彼は、香港で初のGⅠを勝ち取り、自らを祝った。
彼とは、中国名『黄金旅程』、ことステイゴールドのことである。
生涯成績は 50戦7勝2着12回、3着、8回、
重賞成績は、 4-7-8、GⅠ優勝1回
重賞優勝の中には、ドバイシーマクラッシックが含まれる。当時はGⅡ
であったが、現在はGⅠである。重賞成績の中で、GⅠの成績を見ると
なんと、天皇賞秋2着2回、有馬記念3着、天皇賞春2着、4着、5着、
宝塚記念2着、3着、4着2回、と常に、掲示板に載るほど活躍しているが、
日本で勝った重賞は、6歳時の目黒記念と7歳時の日経新春杯だけである。
常に善戦して、レースを盛り上げるが、決して主役にはならなかった馬。
誰もが、彼を愛し、応援していた。目黒記念を勝ったとき、スタンドは、
誰もが涙を流した。GⅠ優勝のような騒ぎであった。
引退後、社台グループは、彼を、岡田氏率いるマイネル軍団の
ビッグレッドファームに譲った。サンデーサイレンス産駒が増えたため、
血の集中を防ぐためである。代表産駒として、ドリームジャーニー、
ソリッドプラチナムなどがいる。
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