日本の競馬界を変えた男(小さな成功)
馬の話からちょっとそれて、人を紹介しよう
パートナーのキャンベルが言った。
「あの牝馬が優勝した瞬間に競馬場で味わった快感に勝る美酒など、
この世にあるわけはないじゃないか」アーサー・ハンコックはグラス
を置いた。ケンタッキーオークスを、グッバイヘイローが制したとき
の話である。アーサー・ハンコックは2代にわたるアメリカのトップ
ブリーダーであった祖父・父の大牧場を長男として継ぐつもりであっ
たが、父の亡き後、管財人たちが弟を後継者に押し、彼は、勝手に
しろと、自分から飛び出すことになった。そして、彼は、隣の土地を
買い、苦労しながら、借金を抱え、土地だけは拡張していった。2代
に渡る念願のケンタッキーダービーも生まれ育った牧場に一歩先んじて
制覇した。ついに、父の牧場の広さをしのいだが、借金はかさんでいっ
た。そんなとき、救世主のように現れたのが名牝グッバイヘイローで
あった。彼女は1989年シーズン終了後24戦11勝で競争生活を終えた。
獲得賞金は170万ドルを超えた。1990年1月キーンランドのセリで
協和牧場オーナー・浅川吉男氏により210万ドル(約3億円)で落札
された。これで、ハンコックは一息入れることができたのである。
日本へ輸入が決まった時、名門競馬雑誌が去りゆく名牝に対して
「サヨナラ・グッバイヘイロー」という特集記事を組んで、別れを
惜しんだ。そして、アメリカ中の競馬ファンが涙したと言う。
その産駆キングヘイローが重賞を勝ったとき、すぐさまアメリカに
打電された。アメリカは、彼女のことをどんな小さなことでも知り
たがったのである。その遺伝子は、確実に日本で受け継がれている。
だが、アーサー・ハンコックが、日本を変えたのは、この馬では
なかった。また、彼の人生の最高潮はまだ先にあったのである。